パリに行くなら一度は訪れたい「バスティーユ広場(Place de la Bastille)」。歴史の深さと現代のにぎやかさが混ざり合う場所で、フランス革命の象徴でもあります。
牢獄バスティーユがあった場所に現在は記念碑やオペラハウス、マリーナ、カフェが建ち並び、地元の人や観光客が集う社交の場となっています。フランスの歴史に興味がある人にもパリ観光を予定している日にも役立つ情報をお届けします。
目次
バスティーユ広場とは
バスティーユ広場(Place de la Bastille)は、フランスの首都パリにある広場。
もともとはバスティーユ牢獄があり、1789年7月14日にフランス革命の発端ともいえるバスティーユ襲撃事件が発生しました。その後、牢獄は解体されたためその形跡はほとんど残っていません。
現在は、中央に塔のような記念柱が建っています。デモなどの集会所やイベントの開催場所としても活用されています。
バスティーユ広場はどこにある?

バスティーユ広場はパリ中心部の東側に位置していて、4区・11区・12区にまたがっています。広場の周辺地域(主に東側)は単に「バスティーユ」と呼ばれています。
すぐそばにはオペラ・バスティーユやグラン・パレ イマーシブなどの施設があり、観光客にも人気のスポットです。
広場から伸びるサンタントワーヌ通りは多くのショップやレストランが並び、このあたりでもっとも賑やかなエリアです。広場の北側に伸びるリシャール・ルノワール通りではマルシェが開かれ、多くの地元住民が訪れます。
バスティーユ広場への行き方・最寄り駅
バスティーユ広場は同時に地下鉄のバスティーユ駅になっています。1番・5番・8番線が通っているのでパリ全域からアクセスしやすいですよ。
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バスティーユ広場の歴史
バスティーユ広場は、フランス革命の始まりとなったバスティーユ牢獄襲撃の舞台です。牢獄時代から現在の広場になるまでの歴史をみていきます。
バスティーユ要塞から牢獄へ
バスティーユ広場には、14世紀末ごろフィリップ6世やシャルル5世らの時代に、パリの城壁を防衛する要塞が作られました。中世のパリは全周を城壁で囲まれた城郭都市で、バスティーユ要塞はその内郭の一つでした。

Nicolas de La Mare / Antoine Coquart – Gallica
後に牢獄として使われるようになり、バスティーユ牢獄が誕生しました。牢獄には、国王が自由に発行できる「勅命逮捕状」によって捕らえられた人が多く収容されました。ルイ14世の時代には、思想的・政治的な理由、あるいは王による圧力によって牢獄行きとなる人が増えます。当時は出版者や思想家に対する圧力もすさまじく、危険と判断されれば書物や出版物もバスティーユ牢獄に収容されました。このようなことから、バスティーユ牢獄は王政下で自由を制限する圧政の象徴的存在でした。
◯バスティーユ牢獄に収容された人数
バスティーユ牢獄はそれほど大きくなく、同時に収容できる囚人の数は最大でも60人ほどだったそう。
14世紀から17世紀半ばの収容人数は800人ほどだったのが、1659年から1789年のあいだには5,279人に増加しました。ルイ14世の治世下で2,320人、摂政時代で1,459人、ルイ15世の治世下で1,194人、ルイ16世の治世下で306人。収容期間は数ヶ月から長くても4年ほどでした。
18世紀後半には、実際の囚人数はかなり減っていて、バスティーユ襲撃のときの囚人の人数は7人だったそう。収監条件もかなりゆるいものだったとされています。
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フランス革命の始まり「バスティーユ襲撃事件」
1789年7月14日、パリ市民がバスティーユ牢獄を襲撃した「バスティーユ襲撃事件」が、フランス革命の象徴的な始まりとなりました。フランス史上もっとも重要な出来事の一つです。牢獄はその後物理的に壊され、広場に変わっていきます。
現在、7月14日は祝日に制定され、パリ祭(革命記念日)として、一日かけて祝賀行事が行われています。
◯バスティーユ襲撃事件の発端
1780年代末、フランス政府は慢性的な財政赤字に苦しんでいました。税制の不均衡、貴族・特権階級の課税逃れ、食料不足(穀物の不作と価格高騰)などが市民・農民の暮らしを圧迫していたのです。また、啓蒙思想(自由、平等、言論の自由など)の広まりやアメリカ独立戦争後の自由主義的潮流などの影響を受け、第三身分(庶民階級)のあいだで「政治参加」や「司法の公正さ」を求める声が高まっていました。
1789年6月以降、王は財政と政治の混乱に対応するために、特定の大臣を罷免したり、軍隊を配備したりしました。こうした動きが、多くのパリ市民に「王が議会を抑え込もうとしている」「武力鎮圧の可能性がある」という恐れと怒りを与え、バスティーユ襲撃事件へと繋がっていきます。
7月11日、民衆の期待を集めていた財務総監ジャック・ネッケルが罷免されると、民衆は激怒し各地で騒乱が発生します。7月14日になると群衆が廃兵院(アンヴァリッド廃兵院)に押しかけて自衛のための武器と弾薬を強奪。そして、さらに多くの武器や弾薬を集めるためにバスティーユへと向かうのです。
この時点ではバスティーユ牢獄を襲うつもりはなく、交渉の上で弾薬を渡してもらうことが目的でした。しかし交渉は長引き、待ちきれなくなった群衆が塀を乗り越えて侵入し戦闘が始まりました。
◯なぜバスティーユ牢獄が襲われた?
思想的・政治的な理由や勅命逮捕状、書物や出版物の検閲など、自由を制限され圧政の象徴だったバスティーユ牢獄。襲撃事件の前には囚人はごくわずかで、収監条件がゆるかったことを民衆が知るはずもなく、バスティーユ牢獄は民衆にとって常に専制政治の象徴で憎むべき存在でした。
また、バスティーユ襲撃事件が発生する少し前に、民衆は、廃兵院から弾薬類が運び込まれたという情報を得ていました。そのため、7月14日、廃兵院で武器・弾薬を奪ったあと、バスティーユ牢獄に向かったのです。
フランス革命を記念するオブジェが立つ
現在は広場中央に1830年に起こったフランス7月革命を記念する記念柱が建てられています。この柱は自由の象徴で、頂上には黄金に輝く「自由の天使(Génie de la Liberté)」という像が置かれています。1840年、革命10周年を記念する式典で落成しました。
実は、この7月革命記念柱の下は、1830年の7月革命と1848年の二月革命で犠牲になった市民の地下納骨堂になっています。この記念柱は単なる記念碑ではなく、革命で命を落とした人々を偲ぶ霊廟としての役割も果たしています。
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現在のバスティーユ広場
現在バスティーユ広場は自由の象徴とされ、牢獄のあとはほとんど残っていません。市民の憩いの場として親しまれています。
広場の周りにはカフェやレストラン、オペラ・バスティーユがあり、活気に満ちています。カフェやレストランは夜遅くまで賑わい、斬新なオペラ・バスティーユの建物はこのエリアのランドマークにもなっています。
デモや集会の会場にもなっている
バスティーユ広場はデモや集会の会場として使われることもあり、牢獄時代とは違い、自由や権利を主張できる場所へと代わりました。しかし、デモ開催中は危険もあるので、近づいてはいけませんよ。
朝市(マルシェ)が開かれる
バスティーユ広場すぐのリシャール・ルノワール大通りでは週に2回、マルシェが開かれます。パリのマルシェのなかでもかなり規模の大きなもので、たくさんのスタンドが並びます。新鮮な食材を求める地元住民にとっては欠かせない場所です。生鮮食品だけでなく、パンや世界各国の料理も並び、眺めるだけでも楽しいですよ。
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Marché Bastille(バスティーユ市場)
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バスティーユ広場周辺の観光スポット
西側にはマレ地区、東側にはバスティーユ地区があり便利なエリアです。
ヴォージュ広場(Place des Vosges)
パリ最古の広場として知られるヴォージュ広場はマレ地区にあります。バスティーユ広場からは徒歩で7分ほど。正方形の広場とそれを取り囲む統一された建物が美しい場所です。晴れた日は絶好のピクニックスポットになりますよ。
グラン・パレ イマーシブ(Grand Palais Immersif)

グラン・パレ イマーシブはグラン・パレから生まれた新感覚のデジタルアート施設です。大きな空間にアートを投影し、まるでその中に入り込んだかのような気分で楽しめる没入型の美術館になっています。子どもも一緒に楽しめる美術館ですよ。
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Grand Palais Immersif
オペラ・バスティーユ(Opéra Bastille)
1989年にオープンした新オペラ座。オペラ地区にあるオペラ・ガルニエとはうってかわって現代的な建物のオペラ座です。オペラやバレエの観劇ができ、多くの人が足を運びます。
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Opéra Bastille
クレミュー通り(Rue Crémieux)
クレミュー通りはカラフルなアパルトマンが並ぶ通り。パリの一般的な街並みとはまったく違う景色がみられます。
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Rue Crémieux
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バスティーユ広場周辺のおすすめレストラン
バスティーユ広場周辺やロケット通りはたくさんのバーやレストラン、お店が並ぶ繁華街です。この辺りには多くの飲食店があり、さまざまなジャンルの料理を楽しむことができますよ。
Prost
ドイツ×フランスのちょっと変わったブラッスリーです。メニューにはドイツ料理とフランス料理両方が並んでいます。ドイツのビールが揃っているのも特徴的。もちろんワインもありますよ。地元の人から人気のお店です。
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Prost
Bofinger
アルザス風の料理を提供する伝統あるレストランです。フランスの伝統料理も楽しめ、メニューの種類が豊富です。店内は歴史を感じるエレガントな装飾が魅力。名物はアルザス料理のシュークルートです。ぜひ試してみてくださいね。
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Bofinger
Chez Pradel
手頃な価格で食事ができる人気のカフェレストラン。ランチは前菜+メイン+デザートがなんと18,5€で食べられます。これはパリではなかなか見かけない値段。ドリンクも良心的な値段なのでちょっとアペリティフをするにも最高ですよ。
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Chez Pradel
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バスティーユ広場とその周辺の治安
テロが起こったバタクラン劇場やシャロンヌ通りがあるため治安が悪いと思っている日本人も多いですが、バスティーユ地区は比較的治安のいい地区です。若者を中心に人気があります。家族連れも多く住む地域で、日中は多くの人で賑わっています。
ただし、このエリアに限った話ではありませんが、パリ旅行ではスリとの遭遇が日常茶飯事です。オペラ・バスティーユの周辺やレストランで賑わう通りなど、混みあう場所ではスリなどの軽犯罪には十分注意しましょう。
また、バスティーユ広場は集会所やデモの起点にもなる場所です。デモに巻き込まれないよう、興味があっても近づかないようにしましょう。まれに暴動に発展する場合もあります。
一般的な観光客が日中に訪れる分には比較的安全な地域ですが、夜間の一人歩きは避け、貴重品の管理には十分注意して観光を楽しんでください。
バスティーユ広場周辺の治安
・テロ発生の過去はあるが、比較的治安はいいエリア
・日中は人通りも多く安心して歩ける
・観光地特有の軽犯罪(スリ・置き引き・詐欺)には注意が必要
・デモ開催中は絶対に近づかない
バスティーユ広場はフランス革命始まりの地。牢獄バスティーユがあった場所に現在は記念柱が建ち、地元の人や観光客が集う社交の場へと変わりました。周囲には食事を楽しめるスポットも多く、歴史好きも街歩き好きも満足できるエリアです。ぜひ行ってみてくださいね。