みなさんは「洗濯船」を知っていますか?
フランス語では「Bateau-Lavoir」といいます。
洗濯船とはパリ、モンマルトル地区にある多くの有名アーティストが暮らしたアトリエ兼住宅なんです。
日本でも名の知れた有名画家らがここで共に暮らし、作品を生み出しました。
1970年の火災でその大部分が焼けてしまい、今ではオリジナルの建物はほんの一部しか残っていませんが、モンマルトルの名所の一つとなっています。
多くのアーティストを生み出した洗濯船とはどんな場所だったのか、その歴史を見ていきたいと思います。
芸術家のアトリエ兼住宅「洗濯船」
洗濯船の歴史
20世紀初めころ、パリはまさに芸術の都として世界中から注目を集めていました。
パリにはアーティストたちが制作活動を行いながら共同生活を送る、“集合アトリエ住宅”がいくつも作られ、世界中からアーティストたちが集まっていました。
その集合アトリエ住宅のひとつが、モンマルトルにあるこの「洗濯船」です。
芸術の都パリの中でもモンマルトルはその中心にありました。
今でもモンマルトルにあるテルトル広場には多くの画家が集まって、観光客向けに似顔絵を書いたり絵画を販売するなど、その名残りがみられますよね。
洗濯船が作られたのは1889年のこと。もともとあった建物が改装され25ほどの個室が作られました。
これぞれの個室はガラス屋根に薄い板で仕切られただけの簡素なもの。
その作りは大型船の内部に並ぶ船室のようだったそうで、このことが名前の由来になっています。
洗濯船の暮らしは粗末で快適さのかけらもなく、冬は寒さに凍え、夏は暑さでムシムシしていたといいます。
洗濯船で暮らした画家たち
最初に洗濯船で暮らし始めたのはマキシム・モフラというフランス人画家。
それからすぐに画家たちの交流の場となり、イタリアやスペイン出身の画家たちが暮らし始めました。
特に注目なのが、ポール・ゴーギャン、1904年にはパブロ・ピカソもこの洗濯船に仲間入りしました。
その他にはアンリ・ルソー、オランダ人画家のキース・ヴァン・ドンゲン、スペイン人画家のフアン・グリス、イタリア人画家のアメデオ・モディリアーニなど、国際色豊かな画家が暮らしていたようです。
パブロ・ピカソ
洗濯船で暮らした画家の中で最も有名なのはやはりピカソです。
この洗濯船に移り住んだ頃から、ピカソの画風は青の時代からバラ色の時代と呼ばれるものに変わっていきました。
そして1907年に「アヴィニョンの娘たち」を描きあげ、この作品がキュビズムの始まりとなったのです。
ピカソと聞いて思い浮かべる作品の多くがキュビズムではないかと思いますが、キュビズムはピカソの作品の中でも特に人気です。
キュビズムの誕生はこのあとの現代アートに大きな影響を与えたことから、ピカソの洗濯船での活動は彼の画家人生を語るうえで欠かせないものになっています。
ピカソは1909年まで洗濯船で暮らしましたが、アトリエ自体は1912年まで使用していたそうです。
現在の洗濯船
現在、多くの芸術家が暮らした洗濯船はそのほんの一部しか残っていません。
1970年に火災が起こり建物のほとんどが焼け落ちってしまったからなんです。
家事で失われた部分は1978年に修復され、25のアトリエが作られました。
現在は住居は兼ねていませんが、アーティストのアトリエとなっています。
そして、家事で焼け残った部分はエミール・グードー広場から見ることが出来ます。この部分は歴史的建造物にも指定されています。
INFORMATION
アドレス:14 Rue Ravignan, 75018 Paris
最後に
キュビズムを生み出しピカソにとっても大きな転機となったこの洗濯船での暮らしを、ピカソはとても気に入っていたようです。
多くの才能ある画家たちの共同生活とはどんなものだったのでしょうね。
モンマルトルを訪れる際にはぜひ立ち寄って欲しい名所です。