みなさんは「洗濯船」を知っていますか?
洗濯船とはパリのモンマルトル地区にある多くの有名アーティストが暮らしたアトリエ兼住宅なんです。世界中からやってきた画家らがここで共に暮らし、作品を生み出しました。
多くのアーティストが暮らした洗濯船とはどんな場所だったのか、その歴史を見ていきたいと思います。
目次
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芸術家のアトリエ兼住宅「洗濯船」とは?

洗濯船はアーティストたちの住居兼アトリエとして使われた建物。フランス語では「Bateau-Lavoir」といいます。
パリが芸術の街として栄えた時代、船洗濯には多くのアーティストが暮らし、創作活動を行いました。洗濯船からは多くの有名画家・有名作品が生まれ、芸術家の聖地のような場所です。
今でもアーティストのアトリエとして利用されていて、芸術の歴史を紡いでいます。アーティストの街であるモンマルトルらしい名所ですよね。
洗濯船はどこにある?
洗濯船があるのはパリ18区のモンマルトルエリアの真ん中あたり。エミル・グドー広場に面したところに立っています。
洗濯船への行き方・最寄り駅
洗濯船へは地下鉄でアクセスするのが便利です。
最寄り駅は地下鉄12番線のアベス駅です。駅からは徒歩3分ほど。
【洗濯船の場所を地図で見る⬇️】
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洗濯船は見学できる?
洗濯船の内部は見学することはできません。通りから見える外部のみ、眺めることができます。
緑のファサード部分はオリジナルの建物。入口横のショーウィンドウのなかには洗濯船の歴史などの展示物が並んでいて、プチ観光できます。
モンマルトル散策のコースにぜひ取り入れてみてくださいね。
洗濯船の歴史
20世紀初めころ、パリはまさに芸術の都として世界中から注目を集めていました。
パリにはアーティストたちが制作活動を行いながら共同生活を送る、“集合アトリエ住宅”がいくつも作られ、世界中からアーティストたちが集まっていました。
その集合アトリエ住宅のひとつが、モンマルトルにあるこの「洗濯船」です。
洗濯船が作られたのは1889年のこと。もともとあった建物が改装され25ほどの個室が作られました。
それぞれの個室はガラス屋根に薄い板で仕切られただけの簡素なもの。その作りは大型船の内部に並ぶ船室のようだったそうで、このことが名前の由来になっています。
洗濯船の暮らしは粗末で快適さのかけらもなく、冬は寒さに凍え、夏は暑さでムシムシしていたといいます。
洗濯船で暮らした画家たち
最初に洗濯船で暮らし始めたのはマキシム・モフラというフランス人画家。
それからすぐに画家たちの交流の場となり、イタリアやスペイン出身の画家たちが暮らし始めました。
特に注目なのが、ポール・ゴーギャン、1904年にはパブロ・ピカソもこの洗濯船に仲間入りしました。
その他にはアンリ・ルソー、オランダ人画家のキース・ヴァン・ドンゲン、スペイン人画家のフアン・グリス、イタリア人画家のアメデオ・モディリアーニなど、国際色豊かな画家が暮らしていたようです。
洗濯船時代のパブロ・ピカソ
洗濯船で暮らした画家の中でもっとも有名なのはやはりピカソです。
この洗濯船に移り住んだ頃から、ピカソの画風は青の時代からバラ色の時代と呼ばれるものに変わっていきました。
そして1907年に「アヴィニョンの娘たち」を描きあげ、この作品がキュビズムの始まりとなったのです。
ピカソと聞いて思い浮かべる作品の多くがキュビズムではないかと思いますが、キュビズムはピカソの作品の中でも特に人気です。
キュビズムの誕生はこのあとの現代アートに大きな影響を与えたことから、ピカソの洗濯船での活動は彼の画家人生を語るうえで欠かせないものになっています。
ピカソは1909年まで洗濯船で暮らしましたが、アトリエとしては1912年まで使用していたそうです。
現在の洗濯船
現在、多くの芸術家が暮らした洗濯船はそのほんの一部しか残っていません。1970年に火災が起こり建物のほとんどが焼け落ちてしまったからなんです。
家事で失われた部分は1978年に修復され、25のアトリエが作られました。現在は住居は兼ねていませんが、アーティストのアトリエとなっています。
そして、家事で焼け残ったオリジナルの部分はエミール・グドー広場から見ることができます。この部分は歴史的建造物にも指定されています。
洗濯船の基本情報まとめ
キュビズムを生み出しピカソにとっても大きな転機となったこの洗濯船での暮らしを、ピカソはとても気に入っていたそう。才能ある画家たちの共同生活とはどんなものだったのでしょうか。
モンマルトルを訪れる際にはぜひ立ち寄ってほしい名所です。




